沢山の物があふれる昨今、同じものを見てもすごく高いと感じたり安いと感じたり、見る人によって千差万別です。何を選びとっていくかは使う人の価値観によって大きく変わります。
ブランドジュリエではセレクトの際、年月を経て使いこまれてその良さが表れるもの。
平たく言えば50年後100年後にアンティークとして残っていくか?と問い続けています。
何年か前に仏教のお寺の檀家である母が、お寺の建て替えの際に寄付をした記念にと、お寺で使われていた瓦の一部を頂きました。きれいに木の箱に納められていて、かけらであっても御苦労さまでしたと言いたくなるような、稟として気品高く箱に納まっていました。
何とも言えない感慨のようなものを覚えました。
100年も経てば瓦でもアンティークです。このようなものしか記念品としてお渡しできなくて申し訳ありません。お寺の僧侶は少し自嘲ぎみに言われました。
その時は何となく、少し心に引っかかる程度で終わりましたが、最近の科学的な素材で造られたもの、大量に画一的に生産されたものがお寺の瓦のような瞬間を将来持つことができるのでしょうか。
自然の素材で人の手を経て一つ一つ作られたものだからこそ、その役目を終えても人に感動を与えることができるのだと思います。
今 建築中の建物の中にどれくらいそんなものがあるでしょうか?
ブランドジュリエで取り扱っているアンティークは決して美術品ではないです、
無名の職人の手によって日常品として作られたものですが年月を経て使いこまれた風格があります。
ゴミとして捨てられることなく生き抜いてきたたくましさに感動します。
特に繊細な素材の物はどのような人に使われ、保管されていたのかと、思いをはせます。
大切に扱われてきたものだけが吹き込まれた命を感じるのです。
何気なく日常品として使っているものでも命が吹き込まれていれば、アンティークとなり、私が使っていたことなど知る由もない未来の人に使ってもらえるのじゃないのかと思います。・・・
そういう風に想像すると日々何気なく使っているものでも改めて大切に扱い、心をこめてお手入れをしようと思います、ちょっと面倒な家事としか感じなかったことでも、とても大切な時間に思われて楽しくなります。