ブランドジュリエ Paris通信 Paris 2024は万丈一致の大成功!
Paris 2024は万丈一致の大成功!
世紀のビッグイベント
Paris 2024が大成功のうちに幕を閉じました。
パリオリンピック・パラリンピックは
「区別をしない1つの大会」という意図から、
正式名称をParis 2024としていました。
この名称から読み取れることは、
インクルージョンや持続可能性といった高い目標です。
新しくスタジアムを建設せず、
「環境負担をかけないビッグイベントは可能だ」ということを示し、
そのノウハウをレガシーとして次世代に継承することを目指した、素晴らしい大会でした。
レガシー、ヘリテージというと、
政治家は自分の名を残すためなのか、
あとあと使えず管理費も捻出できない建設物を造りがちです。
しかしものではなく、ノウハウを生み出すことに注力したフランスは、さすが革命の国。
その革命の象徴であるボネ・フリージャン(赤い帽子)が、
Paris 2024のマスコット
「フリージ」になったことは、きっとみなさんご存知ですね。
Paris 2024の直前と開催期間中、
私はパリのメディア・コンサルティンググループ
株式会社プレスイグレックを通じて、日本のメディアの現地コーディネーターを担当していました。
1つはセーヌ川を舞台にした
異例の開会式のテロ対策を取り上げた報道番組、
もう1つは福岡のrkb毎日放送のパリ中継。
街頭インタビューに応えるフランスの人々が、
若者も年配の方も「国家の安全対策を信頼している」
「このオリンピックは大成功だと思います!」と言い切っていた姿が心に残っています。
しかし開催までは、
外国人の私ですらフランスの行方が心配だったのです!
開会式の1ヶ月前、欧州委員選挙で極右政権が勝利した時は、
これまで自分が見て暮らしていたフランスは
幻だったのかと思ったほどショックでした。
自分が友達だと思っていたご近所さんが、
実はみんな外国人嫌いだったというような、そんな感覚。
で、マクロン大統領はフランス国民議会解散・総選挙に踏み切り、
オリンピック開会式直前までありえないドタバタぶりだったのです。
そんな一部始終を現地で体験した1人として言えることは、「この国の人たちは逆境に強い」ということ。
分断されたかと思ったら必死の思いで団結し、
その連立政党が極右に勝利したのです。
おお、フランス人やってくれた! と、心底安堵していたら、今度は開会式当日がまさかの雨。。。
やっぱり、そんなに夢みたいなことは起こらないよね、
と私は萎んでしまいましたが、フランス人は諦めず一つになりました。
パフォーマンスをする側も、それを見る側も、
一致団結してあの大きなスペクタクルを盛り上げたのです。そのエナジーといったら!
そもそも、コンコルド広場を競技会場にし、
アレクサンドル三世橋の上に観戦席を作り、
そのために交通網をストップする、
つまり都市機能を麻痺させるという選択が、
例えば日本の都市にできるか?
そう考えると、フランスがどれだけ難しいことを成し遂げたかがわかります。
そのおかげで、これまで見たことのない
美しい風景がいくつも誕生したわけです。
エッフェル塔を背景にした
パラリンピックのサイレントサッカー会場や、
夜空に浮かぶ聖火台を見ながら、
「こんなに美しいイメージをたくさん作ることができるフランス人は、やっぱりすごい」と感じ入ったものです。
ピンクとブルー、パープルとグリーンの、グラデーションの旗に彩られた街を歩きながら、
自分は100年後の人たちが見る風景の中にいる、と実感していました。
これから何世紀も後世に伝えられる映像・画像の中を、
いま、私は歩いているのだと。
↑サイレントサッカー競技場
↑ポルトドヴェルサイユ見本市会場がパリ南アリーナとして使用され、バレーボールや卓球の競技が行われた
↑モンマルトルの丘の階段もParis 2024カラーに
そんなParis 2024が終了し、すっかり秋のパリです。
多くを学んだParis 2024。
フランスの人々の心の中に、
大切な記憶としてずっと生き続けることでしょう。
それではまた、
アビアントー!
Keiko SUMINO-LEBLANC
パリ在住ライター・コーディネーター 日仏語翻訳者
1997年からパリに移住。
パリでの結婚・子育てを経て
フリーランスライター・コーディネーターとして活躍中。食とライフスタイルを専門とするジャーナリストとして、
フランス、日本の数々の雑誌・メディアに寄稿。また、翻訳家として単行本も共著。